R15指定 短編SS



真なるクー  〜おさなきもの〜 小文字版

真なるクー  〜おさなきもの〜



 目が覚めたものの、寝室は壁に取り付けられた間接照明の明かりしか感じられないほどの、深い闇に閉ざされていた。
 雨が窓を叩き、地面に水溜りを作っていく音だけがかすかに響く寝室。
 遮光性の高いカーテンで外光が入りにくいというだけではなく、雨が降っているということもあるのだろう。

 寝起きの気だるさに身を任せ軽く寝返りをうつと、横で静かな寝息を立てて眠るクーが目に映った。
 窓から差し込んでくる ほの暗い光によって浮かび上がる端正な横顔。
 わずかに開かれた艶やかな唇は、呼吸に合わせてかすかな吐息を紡ぐ。
 寝顔からは邪悪さなど みじんも感じさせない。
 純粋で無垢。
 なにものにも縛られない存在ゆえに、人類にとって邪悪とされているのかもしれない……
 覇権をかけて悠久の時を生き続ける。それはどんなことなんだろうか。
 降り続く雨の音のせいか、考えることが徐々に暗い方向へとシフトしていく。

 気分を変えるために外の明かりを取り入れようと、クーを起こさないように気を付けながら上半身を起こす。
 すぐそばで寝ていることもあり、めくれあがった掛け布団の下から薄明かりの中にクーの半身が浮かび上がる。
 くっ! 邪悪な……
 それに呼応して俺の邪心が首をもたげ始める気配を感じ、慌てて目をそらす。
「落ち着け。 これ以上搾られたら俺の一部が大ピンチだ」

 ベッドに腰かけるような体勢をとり心を落ち着かせようと深く息を吸った瞬間、背中にしっとりとした感触の柔らかく暖かな身体が押し付けられた。
「おはよう。 主よ、よく眠れたか?」
 肩越しに紡がれた言葉は背中から全身にかけて痺れるほどの電流を起こした。
「ふふ、元気でなりより。 主が元気だと我も嬉しい」


 簡単に身支度を整えると、クーは部屋の隅に置かれた例の壷を部屋の中央に持ってくる。
 クーに言わせると【特に意味のない壷】 ただし、手を抜く程度には使える壷らしい。
「……そんなの引っ張り出してきてどうするつもりだ」
「我も無駄に力を損耗する気はないのでな」
 穏やかな表情を浮かべ口元を緩めると、背中に廻り込んで耳元で呟いた。
「喜べ、我が主よ。 我が娘に会わせてやろう」
「はい?」

 壷を中心にまばゆい光が部屋を覆い尽くす。
 あまりの光量に残像の浮かぶ視界のなか、部屋を見回すが特に何も変わった様子はない。
 クーは部屋の中央に目を向けて口を開く。
「我にして我が娘よ。 時は満ちた、目覚めるがよい」
「……何も変わった様子はないんだけど、また変なの呼んだんじゃないだろうな」
 しかし返答する者がいない。
「いつまで寝ている。 我は貴様をそんな風に育てた覚えはない」
 指弾を弾くように指を鳴らすと、壷が硬質な反響音をたてた。
「くぅぅ…… きしゃまに育てられた覚えはにゃい」
 子供のように舌足らずでキーの高い声とともに壷の中から小さな腕が伸びる。
 その腕は壷のふちを掴むと身体を引き上げようとする。

「こんにゃ場所に呼びだしおって……」
 壷から梵鐘のような鈍い音が響きわたる。
「くおぉぉぉぉ、頭に響くぅぅ……」
 その腕は力尽き壷の中に消えてゆく。

「なぁ、手伝った方がいいんじゃないか?」
「あの中から出て来れない程度では高が知れている。 放っておくがよい」
「きしゃま、われをぐろーするか」
 その言葉とともに上半身が勢いよく飛び出てくる。
「出られるではないか。 あと少し頑張るがよい」
 いや、普通に考えてあの壷から出てこれるような肩幅じゃないんだが……
「むうぅぅぅぅ〜〜っ」
 ボトルからコルクを抜くような音を出して飛び出すと、その娘は一回転して足を伸ばした状態でぺたんと座り込む。
 三〜四歳くらいだろうか。旧スク水といい、容姿、雰囲気に至るまでクーそっくりの少女がそこに現れた。

「どうだ、己が娘との対面は」
「あぁ、クーそっくりで…… って、えぇ──っ!?」
 何の前振りもなく壷から飛び出してきた少女が自分の子供だと聞かされても……
 その、なんだ、こまる。
 少女も少女で自分の身体を見て途方に暮れている。
「こにょような未しぇーじゅくな…… 舌が回らにゅ」
 そう言って勢いよく立ち上がるが、バランスを崩し尻餅をつく。
「さすがに幼生では勝手も違う、か?」
「ははよ、われを…… うぅ、幼しぇいでしょーかんしたわけを聞かしぇてもらおう」
 悔しそうな表情を浮かべ、ろれつの回っていない口調のまま問いかける。
「我がどれだけ強くなったとしても最大の敵となるは自分自身。 ならば、可能な限り能力は制限するのは当然であろう」
「うにゅにゅ……」
 不満そうに眉をしかめる少女。
 うにゅにゅってのは…… うぬぬ、か?
「それとな。 主には幼生に対する偏愛感情はないのが理由としてあげられる」
「むしろ、それが主にゃりゆーであろーが!」
 小さな手を握り締め、今にも暴れだしそうなほど感情を高ぶらせている。
「我が娘よ、貴様は我にしては冷静さが足らぬようだな。 精神は肉体の奴隷にすぎないということか」
「しらにゅわ!」
 少女は跳ねるように立ち上がると、危なげな足取りで部屋から走り去った。
「……放っておいていいのか?」
「仮とはいえあれは我自身。 無茶はせぬであろう」
 世界で一番信頼できそうもない台詞だった。


 庭から水しぶきのあがる音とともに、少女の声が聞こえてくる。
 窓に近寄り外に目を向けると、声を上げながら危なげな足取りで庭をかけ回っている姿が目に映った。
 突然 娘だと言われても実感は湧いてこないが、不安定な足取りを見ていると心配になる。
「主よ、娘の動向が気になるか?」
 背中から抱き締められ、耳元で問いかけられる。
「小さな身体で頑張っているのを見ていれば心配にもなる」
「ふむ。 それは誤算であった。 もう少し成長させておけばよかったかもしれぬ」
 クーは頭を俺の肩に乗せ、静かに少女を見詰めていた。
「それで、あの子の名前はなんていうんだ?」
「彼奴は我らが娘にして、姿こそ違えども我自身、クー・トゥルー。 平行世界から呼び出すには色々制約があるのでな。 それ故、あの肉体に降ろした」
「それじゃ、あの姿にも意味があるわけか」
「あれは単に我の邪魔にならぬようにしたまで。 幼生であることに意味はない」
 ……鬼だ。
「我は邪神だと言っておろう」
「俺が何を考えているか読むなよ……」
「彼奴をどう呼ぶか考えているのであろう?」
「先読みもするなっつぅの」
「クトゥルー、クトゥルフ、クルウルウ、ク・リトル・リトル、クールー、ズールー。 主だった名称だけでもこの程度はある。 好きに呼ぶがいい」

 窓の外では少女が何度も転ぶが、そちらに行こうにもクーに抱きとめられ移動できない。
 クーの方に視線を向けると、穏やかな表情でこちらを見ていたクーと目が合う。
「主の方が限界か。 もう少し様子を見るつもりであったが仕方がない」
 そう言うと身体に回していた腕を解く。
「さぁ、行ってやるがよい。 父としてな」


 扉を開けエントランスから一歩外に出ると、雨で冷やされた冷気が身体を覆いだす。
 その肌寒い外気の中、雨に濡れながら走り続ける少女。
 さっきまでは確かに止めようと思っていたが、クーの「父としてな」という台詞が心に圧し掛かり一歩が踏み出せずにいた。
 突然現れた少女に対してどう対応すればいいのか。
 むしろ、父親になるというのが どういうことなのか理解できない。
 そんな曖昧な考えで手を差し伸べていいのか俺には判断ができないでいた。

 少女が玄関のすぐそばを走り抜けようとしたしたところで足を滑らし、盛大な水飛沫を上げて水たまりに頭から突っこんだ。
 気が付くとさっきまで悩んでいたのも忘れて少女を抱き上げている俺がいた。
「……われは転んで泥だらけなにょだ。 服が汚れるであろう」
 少女は顔中を泥水で汚しながらこちらをじっと見詰めてくる。
 その違和感に自然と頬が緩むのを感じた。
「にゃにを笑っているのだ。 われは間違ったことは言っていにゃいぞ」
 不機嫌な表情を浮かべる少女の顔に付いた泥を袖口で拭ってやる。
 少女の顔が綺麗になる代わりに腕にタップリと泥水が染み込む。
「われに構う必要はにゃいであろう。 ははのところに──」
 こちらをじっと見詰める少女の鼻をつまむと目をぎゅっと瞑ってしまう。
「娘は父親の言うことに従うモンだ」
 まっすぐこちらに目を向けると口を開く。
「われは眷じょくをしゅべるじょーおー。 従う術にゃど知らにゅ」
「女王だったら なおさら綺麗な格好にならないとな」
 自分の着ているスク水が泥まみれなのを確認すると小さな手で胸元にしがみ付く。
「ちちよ、われの威厳を取り戻しゅ。 着替えをよーいせよ」


 数分後、風呂で少女の髪を洗っている俺がいた。
 クーに任せようかと思ったが今ひとつ安心できない。他の連中は論外だ。
 かといって一人で風呂に入らせるのは心配なので現在に至るわけで。
 納得できないものの父親として行動している気がするのも事実だ。

「くぉぉぉぉっ、目が〜! 目がぁ〜〜っ!」
「あ〜、目を開けるなと言っただろうが」
 目をこすっている手を外させると、ぬるま湯で顔を洗ってやる。
「目は軽く閉じるだけでいいから。 ぎゅっと目を瞑ると力が抜けたところにシャンプーが流れ込んでくるんだからな」
「むぅ。 髪を洗うというのは難しいもにょだにゃ」
 その舌足らずの怪しげな語尾と大人びた態度を取ろうとする仕草に笑いがこみ上げる。
「むっ。 ちちよ、われは真面目に── くぉぉぉぉっ!」
「とりあえず髪を洗ってからにしような……」

 身体くらい自分で洗えると言うので、俺も自分の髪を洗うことにした。
 しかし拙い動作で、身体を揺らしてバランスを取りながらタオルと格闘する姿を見ると大丈夫なのか不安になってくる。
「主よ、我らが娘は倒れたくらいでは怪我などせぬ、安心して自らを磨くがよい」
 突如として風呂に現れたクーは、腕を滑らせるようにして後から抱き付いてくる。
 背中に感じる柔らかな感触とクーから立ち昇る芳香に、娘どころか息子までも一人立ちしようと背伸びし始める。
「なっ、いつの間に現れた」
「着替えも用意せずに風呂に来ておいて、我に礼のひとつもないのか?」
「だからと言ってなぜ身体をこすり付けてるんだ!」
「主の背中を洗ってやろうと思ってな」
 少女は感情の乏しい冷静な目をこちらに向けると口を開く。
「われのことは気にするひつよーはにゃい。 われもははとどーとーの知識はある」
「今現在の問題点としては、そんな理解の仕方は嫌だということだ」

 浴槽に入る段階になって少女はお湯に奇妙な興味を抱きだす。
 てのひらで水面を叩いたり、手を沈めて唸りだした。
「ちちよ、人間はにゃぜ湯に浸かるのだ? 茹でるわけでもあるまい」
「ん〜、入ればわかるんじゃないか?」
 少女の腋に手を差し入れ、一緒に浴槽へ入る。
 若干緊張している様子もあったが徐々に慣れていったようで、仰向けになって浮かぶくらいにリラックスし始める。
「んむ。 これは堕落しそうな心地よしゃだにゃ、ちちよ」
 低温のお湯に茹でられた少女は、頬を軽く紅に染めてこちらを伺ってくる。
 海に浮かぶ孤島のような、ぽっこりとした腹が無性に気になる……
 軽くへその辺りを押してみると、口から空気の泡を吐き出しながらお湯に沈む少女。
 おぉ…… 堕落とは違うが確かに落ちていく。
 沈みきると少女は体勢を立て直し、口からお湯をこぼしながら立ち上がった。
「にゃにをするかーっ。 ちちとはいえ、ぶれーにもほどがある!」
 唇を軽くとがらせ、直立不動する姿は怖いというより可愛らしいくらいだ。
「ふ、我が娘よ。 主を父と認めたようだな」
「今はみとめておいてやろう。 だが、われがせいちょーしたあかつきには、わが夫として迎え入れる」
 はい? 何か聞き捨てならないこと言ってないか。
「黄金率たる肉体を持つ我にかなうと思っておるのか?」
「何をもっておーごんりつとしゅるか、たにょしみにしゅるがいい」
 二人が発する不気味な笑い声が浴室に反響し、風呂に入っているにも関わらず背筋が凍るような空気が充満する。

「まぁよい、楽しみにしていよう。 それで、己が娘の名前は決めたのか?」
 言われて気が付いたが、すっかり忘れていたことに気付く。
「う〜ん…… 小さいしリトルとか?」
「リトゥとはシュペルも違うし、ちーしゃきままではない」
「なんで英語だと滑舌よくなるんだよ……」
「リトゥか、それでよいではないか」
 そう言うとクーは少女を押しのけ、浴槽に入ってくる。
「むぅ、せまいではにゃいか」
「三人で入れる大きさじゃないだろ」
「我も堕落というものを肌で感じようと思ってな。 それに、これならば狭いなどとは感じまい」
 浴槽に身を沈めながらクーは身体を密着させてくる。
 こうなるとクーを引き剥がすことは事実上不可能だ。
 少女はその様子を見てあからさまな不満を身体全体で表現する。
 こうなったら仕方がない。
 自由になる片手で少女を招き寄せると、腕の中に水しぶきを上げて飛び込んできた。
「飛んでくることないだろ…… それで、名前はリトゥで構わないか?」
 緩みそうになる表情を押さえ込んでいるという感じの顔でこちらを見上げる口を開いた。
「ちちがしょう呼びたいにょであれば、われはリトゥでかまわにゅ」
 そう言うと、リトゥは胸に顔を押し付け黙り込む。
「……精神は肉体の奴隷にすぎないとはよく言ったものだ」
「ん?」
「風呂というものもいいかも知れぬ。 確かに堕落しそうだと言ったのだ。 湯に浸かるのは、主に抱き締められているようで心地よい」
 呟くように言葉を発すると、この肉体の悪魔は静かな寝息を立て始める。
 その後に俺が被った苦労など知らず、二人は安らかな表情で眠り続けていた。





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2006-11-04 作成
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